
先日,知り合いの方からねこやなぎの枝をいただきました。
二年ほど前に花屋さんで買ったそうですが,とてもじょうぶで,水にさしていただけで,つぎつぎと芽ががでて大きくなったのだとか。
枝の一部を切ってくださいました。
辞書をひくと,「ねこやなぎ…ヤナギ科の落葉低木。高さ0.5~2m。早春,葉に先立って白い毛が密生した尾状の花穂がでる。」とありました。
ふわふわとした白い毛のついたところをさわるとなんともいえない肌触りです。
柔らかくすべすべで,とても気持ちがいい。
「わあ,なつかしいー!」
こどものころ,私の田舎の秋田では,川沿いにたくさんありました。
学校の帰りに道草をして,ねこやなぎを見つけると,枝をとって,白い毛のところをちぎったりしてときどき遊んだ思い出があります。
今思えば,いけないことをしていました^^;
でもそのとき秋田でみたねこやなぎは,毛の部分がもっと真っ白だった気がするなあ…。
少し,品種が違うのかもしれません。

いただいた枝をさらに切ってちいさな花瓶にさしてみました。
すると,上の写真のように,新しい芽がでてきました。
家の中は,暖房がきいて暖かいので「春」と思ったのでしょうか。
先日,我が家にある工事の作業が入りました。
ベテランの作業員の方が,玄関にあるねこやなぎを見つけて,ほかのふたりの30代前後の作業員に
「これは,なにか知ってるか?」と聞きました。
すると,
「いやあ,知りません。なんですか?」
「そうか,知らないか。ねこやなぎだよ」
へえ,若い方は知らないんだなー。
そういえば,最近は,花屋さん以外に外では見かけなくなった気がします。
新しいねこやなぎの芽がこれからどうなるのか?
しばらくたのしませてくれそうです。
スポンサーサイト



(蘭亭序の模本のひとつ,図録より)
2/1(金)に,東京国立博物館の平成館で行われている,「書聖王羲之」展を観てきました。
開催前から新聞などで紹介されていたので,平日の午後の会場はたくさんの人でにぎわっていました。
王羲之(303~361,諸説あり)は,4世紀の中国(東晋)の人です。
書を学ぶ人であれば,名前ぐらいは知っている人が多いと思います。
漢字の手本になる書を書いた人物です。
代表作は,「孔侍中帖」(こうじちゅうじょう),「蘭亭序」(らんていじょ)など,たくさんあります。
私もときどきこの人の文字を臨書(まねしようとして書く)します。
今回の展覧会のタイトルに「書聖」とあるくらいです。まさに書道の歴史の最大のカリスマといえる王羲之。
しかし,彼の真蹟(直筆の書)は,今はひとつも残っていません。
今回の展覧会では,王羲之の書の模本(精巧な写し),拓本(石碑などの上から紙をあて,墨を使って写しとったもの)が展示の中心です。そのほか,王羲之に関連するさまざまな作品も多数集められていました。
つまり,今回の「王羲之展」は,本人のオリジナル作品がひとつもない,「コピー作品」の紹介だけで成り立っているのです。それがこれだけ大規模に開催されています。
書道の世界や王羲之をよく知らない人からすると,驚くことかもしれません。
では,直筆が残っていないというのに,なぜ今日「書聖」といわれているのでしょうか?
まず,7世紀に唐の太宗皇帝が,彼の書をたいへん評価し,賞賛したことがあります。
太宗皇帝は,国じゅうの王羲之の書を集めて,優秀な専門家に精巧な技法で模本を作らせたり,初唐の三大家と言われる欧陽詢(おうようじゅん,557~641)などの能書(字の上手な人)に臨書させたりしました。
それらのコピーは,お手本として後世にまで残りました。
王羲之の最高傑作とされる「蘭亭序」に関しては,皇帝が家臣を使って所有者から盗みだして本物を手に入れ,自分の墓にいっしょに埋めたといわれています。
しかし,その後中国は戦争で長きにわたって混乱していきました。そういうこともあり,王羲之の真筆は失われてしまったのです。
こういうことは,今回の王羲之展の図録や,書道の歴史の本に書いてあります。
それにしても,王羲之というのは,何がそんなにすばらしかったのか。
今回の展示をみて自分なりにわかったことがありました。
今回の展覧会では,漢の時代(紀元前200年ころから西暦200年ころ)などの,「王羲之以前」の書や文字も展示されていました。
こういう王羲之以前の「書」は,明らかに,私たちが慣れ親しんでいる「書」とは雰囲気が違います。
やはり王羲之の書やその前後の時代の書のほうが,しっくりきます。現代の文字に通じるし,すっきりして読みやすい感じがします。
王羲之の書であれば,難しそうだけど,ちょっと書いてみたいなあ~,がんばれば似たようなものが書けるかな,という気がします。漢の時代の「書」だと,そういう気にはなりません。
王羲之の時代のころに,「書」の世界は何か大きな変化があったのだなと感じます。
王羲之(やそれに近い時代のすぐれた書家)は,現代の私たちにもお手本として学びたい,という気持ちにさせてくれる書を,歴史上はじめて書いた人だということなのかな……
この展覧会のチラシにある「書を芸術にした男」というのは,そういう意味なんだろうな。
王羲之の書をすばらしいと集めようとした皇帝の気持ちが,なんとなくわかるような気がしました。
こういう,王羲之の位置づけとかは,きっと本にも書いてあるのでしょうが,自分で現物をみて実感できるというのが展覧会のいいところ。
いずれにしても,王羲之が影響を受けた書,王羲之が影響を与えた書など,これだけたくさん観れることはたいへん貴重な機会でした。
できれば二度ぐらい観たいほどでした。
今回観たたくさんの書かれた書のイメージを少しでも自分の勉強に生かせたらといいなあと思いました。
今後も,王羲之については,またこのブログでもときどき触れていきたいと思います。
※書聖 王羲之展は,3月3日(日)まで,上野の東京国立博物館(平成館)で開催されています。
「書聖」の世界に触れてみてはいかがでしょうか。